院長の言葉

地域の安全を守る“強い病院”を目指して

高校2年生の時に長崎大水害に直面

昭和57年7月23日、当時私は長崎県立長崎北高校の2年生でした。学校で剣道の稽古後、松山町の2階にあった店に同級生4人で入り、お好み焼きを食べている最中に屋上からの雨水が店内に流れ込み、急いで逃げ出しました。自宅のすぐ近くまで来ましたが、川が氾濫して車が流されていました。
この日、長与町役場では1時間に187mmという、観測史上最大の豪雨が降ったと記録されています。しかし、側を流れる長与川は氾濫せず、長与町の水害による被害は最小限に抑えられました。

我々の病院が新築移転する場所は、長与町役場から見える小高い丘の上にあります。日本一激しい豪雨を経験しながらも川の氾濫がなく、被害を免れた土地に我々の病院が位置していること、災害が多い日本列島で水害に強い場所に病院が建つことは頼もしく思います。

長崎市滑石1丁目にある当院は昭和53年に建築され、その4年後に長崎水害で被災し、ライフラインが一時止まりました。この経験から、今でも台風の来る前日には土嚢を積む作業が必要です。
新築移転する病院は何と言っても災害に強い病院でないといけません。当然、職員は日頃から災害に備えた訓練、心の準備が必要となります。

東日本大災害を教訓に災害訓練

平成23年、東北の被災地で、当院の職員が交代で救援活動に従事しました。私も仙台徳洲会病院から複数の避難所を回りました。
この年から毎年、新人職員向けにTMAT(特定非営利活動法人)の協力で災害訓練を実施し、近隣の病院からも参加者を受け容れています。避難所で食べる非常食、炊き出しで食べる食事を実際に作ってみることも訓練の一つです。
この活動は病院移転後も続けていく予定です。

長崎市北部・長与の災害拠点病院へ

令和元年も日本中で災害が起こり、ニュースで被災地の状況を何度も見る機会がありました。長崎大水害から37年が経過し、長崎は大きな地震がなく、水害に対しても対策をとってきたせいでしょう、大手生命保険会社の数社が本社機能の一部を長崎市内に移転してきています。ただ、今までがラッキーな37年で、これから先、いつ災害に見舞われるか分かりません。新病院へ移転しても、災害に対する心構えを忘れずに知識、訓練を継続して、地域の災害拠点病院となれる日を目指して頑張っていきます。
これからも長崎市北部、西彼杵半島の皆様に頼りにされ、愛される病院となるよう努めて参ります。新病院建設中の当院を、これからもよろしくお願いいたします。

2019年12月院長 鬼塚 正成