徳田虎雄名誉理事長のご逝去

徳田虎雄名誉理事長のご逝去に際し、先生にお礼を書きたいと思います。

私が中学3年生の頃、亡くなった父が長崎新聞の夕刊で連載された徳田先生の記事を切り抜いて私の机に毎週置いてくれました。医師会から反対されても病院を作る徳田先生に対して、世の中には凄い人が居るな~と父は敬意を示していました。

それは私が医学部を志望する契機になったことは間違いありません。長崎県立長崎北高校に進学し、入学時から医学部志望を表明しましたが、世の中は医師過剰時代が到来すると新聞、TVで報道されます。医者になっても働く所はないかもよ、と同級生が心配して声をかけてくれる時代でした。そんな時、徳田先生がTVで救急、離島では医師が不足しているから医師過剰時代が来るなんてあり得ないと発言されている姿を見て、どれだけ私は励まされたか分かりません。医学部6年生の時、長崎北、茅ケ崎、湘南鎌倉と徳洲会グループ3病院で見学、実習をしました。卒後は長崎大学関連病院脳神経外科で勤務し、救急医療に従事してきましたが、2010年に当院へ就職し、徳田虎雄先生との面談がありました。2012年にも2回目の面会があり、その時に撮影した写真を掲載しています。

徳田先生は1975年に医療法人徳洲会を設立され、現在、徳洲会グループは国内で76の病院などを展開する民間最大級の病院チェーンです。徳田先生は2002年にALSと診断され、2004年には胃瘻を造設し、2005年には人工呼吸器装着で声を失いました。その後も、理事長として経営の指揮を執っていらっしゃいましたが、2013年に75歳で理事長を退任し、2020年に名誉理事長となられ、晩年は湘南鎌倉総合病院(神奈川県鎌倉市)で闘病されていました。

24時間・年中無休で診療することや、離島やへき地に病院や診療所を次々に開設し、徳田先生は「医療界の革命児」と呼ばれました。「命だけは平等ですから、金持ちでも庶民でも都会でも農村・離島でも、誰もが最善の医療を受けられる社会を理想としている」、この理念は当院でも実践しています。

湘南鎌倉病院スタッフの懸命な治療でALSの診断から約18年生きて86才の生涯を全うされた徳田先生、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。

我々徳洲会病院スタッフは先生の理念に沿った医療、介護を今後も展開していきます。徳田先生のご冥福をお祈り申し上げます。

2024年(令和6年)7月12日院長 鬼塚 正成

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