院長の言葉

令和2年を迎えて

2020年、令和2年がスタートしました。西暦で書くか、元号で書くか、カルテでは統一したほうがいいという意見もありますし、実際、西暦に統一している病院が増えてきています。うちの病院もどうするか? 昨年考えましたが、令和という響き、新しい時代を迎え、当院では元号、西暦いずれでもいいことにしています。
元号から西暦に切り替えたり、何年前かと計算するのに一苦労することがありますが、計算することで頭のトレーニングになります。脳はいつも使っていないと寂<さび>れてしまう、認知症予防にも一役買っています。

認知症、脳卒中に対して決定的な治療というのは、残念ながら令和2年の現在でもありません。予防に努める、もし不幸にして病気になっても後遺症を最小限にして日常生活に戻っていくために援助する。それが病院の役割と言えます。
脳梗塞を発症して4時間半以内であれば血栓を溶かしたり、カテーテルを使って粉砕する術が開発され、脳梗塞急性期治療は、ここ数年で格段に進歩を遂げました。

学生時代、当病院で救急医療を実習

さて、1月から土曜の夜に日本テレビ系列で、主人公の天海祐希が脳外科医を演じる『トップナイフ』というテレビ番組が始まりました。脳外科医が主人公のテレビ番組って、今まで日本にあったでしょうか?
アメリカには白黒テレビの時代になりますが、ベンケーシーという脳外科医が主人公のテレビ番組があり、学生時代に再放送されたベンケーシーを先輩がVHSに録画して見せてくれました。
日本で脳外科創成期の時代は皆、ベンケーシーを見て憧れを持ったそうです。ケーシー高峰(故人)も、半袖の丈が短い白衣をケーシーと呼んでいますから、この番組が与えた影響は大きかったのでしょう。学生時代はNHKで『ER』というアメリカの救急医療をテーマにした番組を夢中になって見ていました。

救急医療に関心を持った私は、医学部6年生のときに社会医学実習のテーマに救急医療を選びました。昨年亡くなられた斎藤寛長崎大学元学長が担当教官でしたので相談したところ、長崎の救急病院を見学したいのなら長崎北徳洲会病院へ行くといいと、当時の茅野博院長にその場で電話をかけていただき、友人6人で当院を見学する機会を得ました。
転落事故で搬送された急性硬膜下血腫の患者が搬送され、患者を看護師、放射線技師、医師4人で手分けして、救急処置、CT室、術場まで無駄のない流れで運び、当時の脳外科部長であった古賀久伸先生が執刀された開頭術も見学する機会を得ました。
ここで経験した脳外科手術が頭の中に残り、夏休みには茅ヶ崎徳洲会病院、湘南鎌倉病院で脳外科手術を見学、救急医療の現場を1週間かけて見学しました。私が脳外科医を志したのは救急医療の現場で遭遇した脳外科手術が一因であり、今、見学させて貰った病院で勤務している縁を感じています。

医師となってからは、自宅へ帰ってからも医療をテーマにしたテレビ番組を見るのが嫌で、ほとんど見ません。トップナイフをきっかけにして、脳外科医を志す人が増えてくれたらいいなあと期待しています。
私の高校時代は医師過剰時代が将来、到来するという記事が新聞に溢れていました。脳外科専門医を取得した直後には「日本には脳外科医が多すぎる」という記事が出て、少なからずショックを受けました。

若い人が憧れる医療の現場を目指す

令和2年の現在、脳外科医を志す若い医師は減ってきています。近い将来、脳外科医が不足してくると、定年を過ぎた後も、私は脳外科医として働かないといけなくなるでしょう。
働き方改革が言われる現代の日本において、医師の過重労働からの解放は最重要課題であり、私も当直明けの日は、午前中で病院を出て休むようにしています。医療従事者が健康的に生きていくため、2交代制で働く時代が来ることを願っていますが、私がその恩恵に預かるにはスタッフを増やしていかないといけません。
ハードワーク、ブラックなイメージが強い脳外科医を目指す若者が増えてくれるように54歳の脳外科医も毎日、生き生き活動していることをアピールしないといけないでしょう。

長与に新築している新病院が来年完成し、順調にいけば2021年、令和3年5月に移転をします。
新病院には新しいスタッフも当然入ります。人口が減少している今、若い人が憧れる職業として医療の道を進んでくれる人が一人でも増えるように、我々は働き過ぎず健康的に働き、情報をこれからも発信し続けていきます。職員皆で頑張っていきたいと思います。

2020年1月院長 鬼塚 正成